テイクアウト➡持ち帰り
【カタカナ言葉の氾濫する、われらの日常。とりわけ、飲食店等で目について耳についてならぬのが、この ”テイクアウト” である。どこの誰が言い始めたのか知らぬが、持ち帰り品を提供する店が、言語害毒撒き散らし拠点となっておる。もろみ五郎】
知識人「いつだったか覚えておらんが、昼めしで牛丼を食べようと思い、近くの牛丼屋に行った。入口近くにいたお姉さんに『並ひとつ、持ち帰りでね』と伝えたんだ。そしたら、こう返してきた。
かしこまりました、テイクアウトですね。
・・・わざわざ言い直す必要があるのか、と怒鳴りたくなったがね、なんとかこらえたよ」
文化人「ありますねえ、そういうこと。もう、そこらじゅうにごろごろ転がってるでしょう。ぼくも同じく牛丼屋だったんですけど、そのときは店員が威勢のいいおにいさんでね、こう言いましたよ。
はいー、テイクいっちょう。
・・・ああ、これが日本語なんだ、って思うと、悲しかったですねえ」
知識人「前回の<ストップ>と違って、今回のは日本人には言いにくい音だろう。持ち帰りの方がはるかに自然だと思うがね」
文化人「ですから、そういう問題じゃないんですよ、前回話したでしょ」
知識人「単純に考えてだな、持ち帰り、よりもかっこいいという感覚なんだろう、きっと。これもいつだったか忘れたが、NHKというのは、
NIHON HOSO KYOUKAI (日本放送協会)
・・・の頭文字を並べてるだろ。これを知ったある男が、『かっこわるい』と言って顔をしかめたんだな。この男の感性というか感覚というか、これがまさにわたしたち現代日本人の多くに共通するものなんじゃないかな。わたしはそんな気がしてならんのだが」
文化人「同感ですねえ。最近は、何かを手に入れるとき、『ゲットする』なんて言うでしょ。基本動詞が舶来語に浸食される、と前回で論じましたけど、こういう例、いっぱいありますよねえ、もう、いやになるぐらい」
知識人「持ち帰りに関して言えばだな、たぶん、飲食業界が始めたんだろうな。理由はひとつだ。目新しさだよ。目立てば客が寄ってくる。そして、売り上げが伸びる。金になるとわかれば、母語の破壊など誰も気にしないんだろうなあ」
文化人「これからひとつひとつ検証していきますけど、ほとんどの場合、金の動きがからんでるでしょうねえ。金のためなら、他人の命なんかどうでもよく思えてくる人も多いでしょう。言葉なんて、伝わりゃいいんだから、と思えば、テイクやゲットを使って悪い理由は見当たらないでしょうね」
知識人「ううん、こうして話をすすめてゆけば、必ず同じところで立ち止まらねばならん。毎回毎回同じだ」
文化人「在り方、ですよね。ぼくたち日本人の」
知識人「そうだ。このカタカナ言葉問題をだな、テレビに投げかけてみろ、どうなると思う。バラエティ番組のかっこうのネタにされるだろうな」
文化人「低能な芸人、躾すらされず成人したアイドルなんかがしゃしゃり出てきて、ああだこうだと、聞くに堪えない劣悪日本語でしゃべりまくるんでしょうねえ。ああ、想像したくない」
知識人「そうやってテレビ化された問題は、社会的には一気に格下げされる。まともなおとなの議論として認められなくなるんだな。これこそ、テレビの重要な役割というものだよ。社会問題を戯画化して、人々の意識から消してしまう」
もろみ五郎「その通りだ。かくして、徳川時代から続く愚民政策は、21世紀の今も安泰というわけだ」
文化人「なんだか悔しいですねえ」
知識人「馬鹿が幅を利かせている時代だもんなあ。まともな人たちは沈黙を決め込んでしまうんだから」
もろみ五郎「かつて、ヒトラーが政権を握ったときもそうだった。まともな知識人などは彼を嫌悪し、相手にしなかった。そうしているうちに、人類史上最悪の国家が出来上がってしまった。21世紀世界も、同じ轍を踏むかもしれぬ」
文化人「そうならないようにしたいですけどねえ。でも、何をどうすりゃいいんだか」
知識人「そうだなあ、とりあえず、この場で問題提起し続けるとするか」
もろみ五郎「そうだ。何ごとも積み重ねなのだ。薄皮を一枚一枚重ねる如く、地味で地道なる仕事に徹する。これがわれらの役割である。肝に銘じよ」
(了)
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