リスペクト➡尊敬
【異常に氾濫し続ける、カタカナ言葉。カタカナを混ぜねば日本語に非ず、とでも言わんばかりの現状を憂うる者、かなりいるはずだ。当サイトは、そんな方々といっしょになって論じ、考える場である。我が母語よ、どこへゆく。 もろみ五郎】
知識人「ある芸能人がしゃべっているのを聞いていたら、 『僕が日ごろリスペクトしてる〇〇さんが云々』と言っていた。なぜ尊敬とか敬意を抱いているとか言わないのだろう。わたしは不思議でならんのだが」
文化人「同感ですねえ。それが彼らの日常語なんでしょう。我らが母語は、すっかり変な方向に進んでますねえ」
知識人「あの芸能人に向かって、 『なぜ尊敬という言葉を使わないんですか』 と尋ねてみればどうだろう、きっと不思議そうな顔をするだろうな」
文化人「まあ、英語を混ぜて話すのは、ずっとさかのぼって考えれば、大陸から渡来した帰化人たちが使っていた中華語や朝鮮語を珍しがったりありがたがったりして、我先にと使っていたいにしえの日本人と変わらないんじゃないか、って気もするんですがねえ」
知識人「根は同じかもしれんがね、なんせ今は、情報が一瞬で手に入る時代だろう。比較対象の圧倒的に少なかった当時と今とでは、真正面から比べるのはどうかと思うがね」
文化人「どうかと思う、ってのは何です、どう思うんですか」
知識人「今は選択肢がはるかに多いだろう。その中からカタカナ言葉を選んで使ってるんだから、現代の方が罪は重いだろうね」
文化人「罪、っていうのもどうかと思うんですが」
知識人「君も言ってるじゃないか。どうかと思うってのは何だ。どう思うんだね」
文化人「つまりですね、まあ、ちょっと話は違いますけど、男女っていう性別すら、今は確固たる概念ではないでしょ。こんな時代ですから、
日本人=日本語を話す人
・・・っていう考え方も崩れてるんじゃないか、と言えると思うんですがね。どうでしょうね」
知識人「確かにそうだな。愛国心だの祖国愛だのといったものの大前提ともなる、礎の部分が不確かになっている。なぜ日本語を使わないんだ、と問えば、なぜ日本語を使わなきゃいけないのか、と問い返される時代なんだろうな、今は」
文化人「こうして礎が崩壊してしまうとですね、今まで築かれてきた価値観やら何やら、すべて根こそぎ見直しってことにまでなりませんか。何だか、恐ろしいことになりそうな気がする・・・」
知識人「恐ろしいこともなかろうがね、まあ、今までの常識が通じなくなっているのは確かだ。さて、今回の<リスペクト>なんだがね、君ならどうするかね」
文化人「尊敬、ってのがいちばん無難な言い方でしょう。あとは、文脈次第では、尊重にもなるだろうし、立派な人、みたいな口語的表現で済ませていい場合もあるだろうし」
知識人「そうだな。言葉ってのは、前後の文脈によってずいぶんと変わるものだ。ところが、カタカナ言葉は、そんな頭を使わないで済むだろう。尊敬も尊重も敬意を示すも、みんなひっくるめて<リスペクト>の中に押し込めてしまえばいいんだからな。まさに記号だね、こういった使い方は」
文化人「でも、そういう傾向が延々と続けば、自分の頭で言葉を探せない・選べない日本人が大増殖するんじゃありませんかねえ。いや、すでにもう、そうなってるのかも」
知識人「まあ、その潮流はすすんでいるだろうな。はっきり言いたくない・あいまいにして済ませたい・・・こんな悪しき日本人らしさが、カタカナ言葉氾濫の背景にあるだろうね」
文化人「そうなんですよねえ。でもね、こうして言葉の問題について考えると、いつもぼくがぶつかるのは、(言葉のことだけ考えたって解決しないな。もっともっと根が深いな)っていう気持ちなんですね。例えば政治家の記者会見なんか聞いてても感じますよね、そういうことを」
知識人「まったくだな。カタカナ言葉大好き東京都知事をはじめとして、何の臆面もなく、日本語に外来語を混ぜて話す為政者や指導者が山ほどいる。テレビはもう、外来語も含めて、間違った言葉や汚い言葉だらけだ。こんな環境で育った子供たちがまともなおとなにならないとしても、彼ら自身の努力不足とは言えんだろうな」
もろみ五郎「君たち、きょうの主題は<リスペクト>である。何らかの結論を出したまえ」
文化人「もう出たでしょ、さっき。いくつかの言い方があるって」
もろみ五郎「あれが結論かね」
知識人「では、他にどんな結論があるというのですかね」
もろみ五郎「それを考えるのが君たちの役割りであろう」
文化人「きょうは第一回ですし、どうせ誰も読んでないんだから、このあたりでおしまいにしましょうよ」
知識人「そうそう。試運転ってことにしてくださいな、五郎さん」
もろみ五郎「まあよかろう。次回に期待する」
(おしまい)
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