スルー➡飛ばし、休み、無視その他

【AI作品の芥川賞受賞という衝撃も冷めやらぬ状態ではあるが、先に進めたい。カタカナ語をいちいち取り上げ、この場で議論する。それがひいては大きな力となってゆくと信じて始めたサイトであるが、早くも初心が揺らいでおる。さてさて。もろみ五郎】

 

 

知識人「今回は スルー だとよ」

文化人「飛ばしたり休んだり、あるいは無視したりする場合によく使われるカタカナ語ですがねえ」

知識人「だからどうなんだ、って気になるんだよな。安易に便利な言葉を使いたきゃ使えばいいだろ」

文化人「・・・早くも行き詰まりましたねえ」

知識人「大陸文化の波にのまれた古代日本人にまでさかのぼれば、舶来信仰の歴史については延々と語ることができるだろうな。だが、今それをやるからには、わたしたちの伝統とも言える島国根性を根絶やしにするぐらいの気概がほしいんだよな。ただぶつくさ言っておしまい、じゃなくてさ」

文化人「そうなんですよねえ。でも、そこまで周到な準備を経て始まった場ではないでしょ、ここは。もとはと言えばですよ、fc2でやってみた小話ブログ <物語道場! byもろみ五郎> がけっこう楽しかったので、あらためてワードプレスでやり直そうとしたんですよね」

知識人「そうなんだな。でも、すぐネタ切れしたため、今度は五郎氏の大好きなエルトン・ジョンを題材にした <エルトンジョン不滅論> に変更して再開した。が、これもあえなく沈没」

文化人「趣味に徹した方が長続きするんじゃないか、という読みは悪くなかったと思うんですがねえ」

知識人「ニュージーランド旅行記も二度やったよな、あれはおもしろかった」

文化人「楽しかったですねえ。英語もわからないぼくらが、生まれてはじめてオークランド市に滞在して」

知識人「しかしまあ、所詮、趣味は趣味だ。自己満足に終わりたくない、との気持ちがあって、しばらくお休みして、ようやく三たび始めたのが当サイトというわけだ」

文化人「これも続きませんかねえ。何だか不安だな」

知識人「きょうの題材に戻ってみたいんだがね、スルーという軽薄なカタカナ語を使う人がだよ、多くの日本語と比較して、まさに熟慮した上でそう口にしたとしたらどうなんだろうな。この場合、軽薄な行為とは言えないだろう」

文化人「そうなんですよねえ。ひとつの表現を正しく選択した、ということになるでしょうね、その人にとっては。例えばホラ、学者やなんかが、 ”ア・プリオリ” っていう仏語を使うでしょ。あれなんかも、これがもっとも適した表現なんだっていう認識があるんでしょうね」

知識人「まあ、無意識の衒学趣味がちらちら見え隠れしてはいるがね、適しているという認識なんだろうな。ちょっと違う話だが、精神医学者の神谷美恵子氏が、ものを考えるときは仏語の方が楽だと何かに書いていた。あれは嫌味でもなんでもなく、素直な感情だろう。こういうふうに、複数の言語を使いこなせる人は、頭の中で瞬時に比較しつつ、適切な言葉を選び出すのだろうな」

文化人「それは正しい思考作業ですよねえ。ただ、さっきの ”ア・プリオリ” なんかで言えば、何で日本語にしないのか、という、この一点に尽きるとぼくは思うんですよ」

知識人「そうなんだな。それが例えば、仏文学者を相手にした論稿か何かであれば、まったく問題にならんだろう。むしろ当然かもしれない。だが、いつだったかな、DJの小林克也氏が、 徹子の部屋 に出ていたときだな、こんなことを言ったんだ。

美しい日本語の中にいたい、と言いますか・・・

・・・残念ながら、だいぶ前の記憶だから、この前後の文脈を忘れてしまったんだがね、ああ、単なる英語屋さんじゃないんだな、この人は…とわたしは思ったんだ」

文化人「素敵な認識ですよねえ、それ。ぼくもまったくそう思いますよ。どんな議論をするにも、美しい日本語でやりたいんですよね」

知識人「それが民族の正しい意識だとわたしも思うよ。ただ、現代にのように、性別すら揺らいでいる時代においては、国家・民族・母語といった当たり前の、疑う余地などなかった概念に対してまで、疑いの目を向けねばならん。こうなればだね、ただカタカナ語はけしからん、では何の説得力も持たない空論に過ぎないんだなあ」

文化人「同感ですねえ」

もろみ五郎「ではどうすればよいのだね」

知識人「それを考えるのが、わたしたちの役割りですよね」

もろみ五郎「その通りである」

文化人「でもねえ、五郎氏、問題が深すぎませんか。こんなところでああだのこうだの言ってても、何の進歩もない気がするんですがねえ」

もろみ五郎「そんなことはない。何事もまずは話し合わねば前に進まぬ」

知識人「でもねえ、五郎氏、帰納的に積み上げていったって、行きつく先はただ荒野なり、って気がしてならないんですよ。こんなときは、演繹的操作が第一じゃありませんかねえ。どうです」

もろみ五郎「まずは目標を定めよ、ということかね」

知識人「まあ、そうなりますかね」

文化人「そうですよねえ、よし、あそこまで行くぞ、って示されていなければ、どうにも足取り重いんですよね」

もろみ五郎「最終目標は、われらやまと民族のなかにある島国根性を叩き出すことである」

知識人「ああ、それは最後の最後でしょう。いきなりそう言われても」

文化人「そうそう、遠大なる目標って、逆にやる気を失わせるんですよ」

もろみ五郎「では、カタカナ語の乱用という現状を直視しつつ、 日本人が日本語を使うべき意味または意義について論じてゆくか」

知識人「つまり、言語という対象に限って議論するということですね」

文化人「民族の未来とか、大陸の圧倒的影響を受けてきた歴史とかを分析するのではなくて」

もろみ五郎「そういった知識・認識は、もとより必要であろう。だが、当面の課題の解決に必要な情報として活用するにとどめ、いきなり<日本人とは何か>といった高度な議論に向かわぬよう留意しつつ、話をすすめていこうではないか」

知識人「それはそれで難しいですけどね。なんせ、日本人のなかから、母語だけを主題にするんだから。また議論が右往左往しそうな気もしますが、とりあえず、それでいってみますか」

文化人「そうそう、問題が大きすぎますからねえ、可能な位置から始めるしかないでしょうからね」

もろみ五郎「では、次回からそうしてゆこう」

(了)

2579字

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